前の茶日記で、愛されたら返そう、ということを書いたことには、別に直接のきっかけがあるわけではなかった。なーんとなく、最近行きつけのいろんなカフェで構築されつつある人間関係に対して愛を感じていたのでそう書いただけだ。

そんな軽い気持ちで書いたら、文章に逆襲された.....というか、私の愛アンテナはまだまだだなあと感じるようなできごとが。
「愛・地球博」に、Z師たちの演奏を聴きに行った。本番は三日間、で前日にリハがあった。リハは一応公開というふれこみだったので、同行の仲間とぶらぶら観に行った。前日が雨で、屋外ステージの最終工事が終わっていなかったことや、開幕式の段取りが完璧でなかったのか、リハ全体がなんとなくもたついていた。こと現場に関するかぎり(自分主催でなくても)スタッフが愚図だとすぐ切れる私は、意外な寒さもあって、ずっとイライラしながら、手出しもできず見守っていた。中国チームの舞台監督である朱師もいつになくイライラしていて、声を荒げている場面もあった。当たり前である。演奏だけならまだしも、雑戯やダンスのある場合、舞台や段取りがしっかりできていなければ、けが人が出る。
そんなこんなでやっと演奏やダンスのリハが始まったのは午後だいぶ回ってからだった。演奏、歌、ダンスと次々に演目が登場する彼らのステージには二つのパターンがあって各45分。小返しが殆どないのはさすが中国の一線プロ。
第一パターンが終わって、小休止に入った時、とつぜん、舞台の方から「真穗!真穗!」と手を振りながら走ってくる人影あり。
「あれー、奚文姉さんだ!!!!」
 去年も朱師と来日して華麗なる揚琴プレイを聴かせてくれた奚文女史である。あっというまに駆け寄ってきて、「きゃー、来てたの??」とチカラいっぱい私を抱きしめた。
 なんて目がいいんだろう。工事中だから最後列の方でこそっと観ていた私に、舞台の上から気がついたという。とても嬉しかった。
 奚文姉さんと知り合ったのは、最初に南京に行った時だ。朱師出演のテレビ番組収録を観に行ったとき、伴奏で来ていた彼女に紹介された。何度か日中交流行事で来日したことがあるという姉さんは、ときどき片言の日本語混じりで、初対面の私に最初から明るく話しかけてくれた。筆談が8割の私にイヤな顔ひとつせず・・・。彼女の明るさのせいで、私はブロークンな中国語でも少しずつ勇気を出して口に出すことができるようになっていったのだった。間違った発音をしても、聞き取れなくて返答に詰まっても、彼女となら恥ずかしくなかった。不思議だった。
 それから、南京にいくたびに奚文姉さんに会った。初会の時は、他愛もない話ばかりだったけれど、何度か会って散歩したり、買い物に行ったりするうち、もっと深い話をするようになった。姉さんと呼んでいるけど、彼女は私より二歳年下なのである。しかし、私が童顔で、道産子丸出しの素朴さなので、「私の方が年上だと思ってたよー」と彼女はいつも笑うのだった。それも、愉快だった。家族のこと、仕事のこと、現代の中国のこと、学校時代のこと、そんなことをお互い話すうち、育った環境や、才能は全然違うのに、同世代の女性として、近い悩みや考えを持っていることがわかってきた。
 姉さんは、非常な美人である。昨年コンサートに来た人は、男女の別なく、彼女が現れた一瞬、息を飲んだと思う。そして、しかし、沢山コトバをかわすうち、彼女が大変な努力家であることや、たいへん賢いことや、細やかな感情に敏感な人であることも、よくわかってきた。彼女の揚琴の演奏風格はしなやかで力強いが、その奥には、深くて広い温かさ、生真面目さ、忍耐強さが隠されている。私は、そういう人は大好きだ。だから、すぐ彼女を大好きになった。
 そんなわけで、私は彼女を友達と呼びたかったが、それ以前に、尊敬する天才演奏家であることも確かだったから、その気持ちにストップがかかった。前にキングから出ていた「中国の二胡」で、朱師と一緒に写真に収まっていた彼女がバスで隣の席に座り、一緒に甘栗をぼりぼり食べたり、きゃあきゃあ笑いあっていることの方が不思議だった。「ありえねー」とはまさにこのことである。
 そんな彼女が、遠くから私に気づいて、駆け寄ってきてくれた。抱きしめられた腕の中で、私はなんだか涙が出そうになった。そして、ああまたやっちゃった、と思った。いろいろ話してきて、彼女の愛を感じる場面がいろいろあった。でも、私はまた「私にはその資格がないから......」と、わざとその愛から身を引いていたのだった。こんどはそんな間違いはやるまい、と思った。
 今回、彼女のホテルの部屋に何度も遊びにいった。私が電話した日もあり、彼女から呼び出された日もあった。二人だけで話した時もあり、「江南茉莉」の他の奏者の女の子と4人で、ポッキーやらピーナツやら干し肉やら南京のお菓子やらをばりばり食べながら大騒ぎした日もあった。
 帰国前日、彼女と二人だけで、またいろいろ他愛もない話をした。彼女も私も、去年のコンサート以降の一年間で、いろんなことを感じたり、考えたりしていたのだった。普段近くにいないからこそ話せるような話もちょっとあった。そして、私は、だいぶ以前から、彼女が私を応援していてくれていることをはっきり知ったのだった。まったく二胡と関係ないことで辛いことが多かった一年だったから、彼女の思いやりは本当に心にしみた。そして、自分でも不器用だなあと思いながらも、生真面目に歩いてきて、彼女のような知人......いや、友達を得たことを、本当に嬉しいと思った。
 なんだか、本当は彼女に出会うために南京に行ったのかもしれないなあ。そして、これは多分もう片思いじゃなく、両思いの友情なのだ。
 あなたと会えて、本当に嬉しい。いっしょに話せて、本当に楽しい。
 まるで恋人に告げるように、私は何度も彼女に言った。へたな中国語で。
 ありがとう。姉さん。人生は、やっぱ楽しまなくちゃね。

 今回の旅は、CDのディーラーとしての目的もあったものの、基本的にはかなりバカげた旅であったと思う。師の来日を口実に、とりあえず目の前の現実から逃げたかったんじゃないの?と言われたら、すぐ否定はできない。
 20年前、やっぱり似たようにバカげた長旅をした。やっぱり、なにかから逃れるための無謀な旅。その時と同じようにあてどない心の逍遙は延々と続いている。(拙著「スクリプターは虹の階梯を」に収録の「So Foolish!」ご参照下さい)何も進歩はありやしない。でも、その時よりも、友達はちょっと増えたかもしれない。いま・ここ、そして、みらい・どこか から手を振ってくれている友達が。