恋上二胡/二胡と遊ぼう

札幌の二胡な人 荒木田 真穂の 二胡もあるブログです。    

本職ことだまつかい(書き屋)な
二胡の人(Player & Instructor)
無宗教。支持政党無し。
HP 最愛二胡 http://someiro-erhu.jimdo.com/
グローバルワークス と
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  今日は津軽三味線のKさんのライブにお邪魔して、いいことを知ったぞ。それは「手」ということ。一種のアドリブと言えるだろうか。二胡で言えば「手」は加花だったり、びみょーな装飾やビブラートだったり、或いは多少大胆な編曲だったりするのかな。
 あまり複雑なことは己の技術レベル的にできないのだが、自分はどうもこの「手」を考えることが好きなんだなあ、と、初めて認識した。
 津軽では、有名曲に対して、名手それぞれが個性的な「手」を考案し、素晴らしく多彩なバリエーションを作っている。「誰それの手によるよされ節」などが何種も成立するらしい。それで、非常に単純にみえる津軽三味線の世界が、噛んでも噛んでも味の出る干ホタテ貝柱のように奥深く豊かになっているのだ。時事実今日Kさんも、拍手に答えてよされ節に「手」を加えまくり、尺が伸びた。
 加えて言えば、演奏者は自分の創り出した「手」が模倣されること、盗まれることを非常に嫌う、という。うん、これも、なんか私が時々感じることに似てる。
 単純な民謡とか戯劇曲などで、時々気が乗って「手」を加えて弾くことがあるが、誰もやってない「手」を作れるとすごく嬉しい。反面、自分で見つけた「手」を誰かにあっさり真似されたり、「それ、その通り教えて欲しい」なんて言われると、なんかほのかーに悔しい。いや、かなり悔しい。かなりイヤだ(笑)。
 この悔しい気持ちや、真似されることがイヤなことを、しばらくのあいだ「良くないこと」「利己的で身勝手な感情」だと思って胃が痛くなることもしばしばだったが、どうもそうではないみたい。むしろ民族音楽の演奏世界では、「手」は習うものではなく、自分で作るのが当たり前のことだと、今日、Kさんに教えて貰った。私はこの年になって、自分の無知を恥じるばかりだ。年は若くても、長く三味線界に暮らし、苦労も楽しみも味わっているKさんのコトバには重みと、人間的な温かさがある。
 なんだか、ここ数年間のココロのカセが外れたみたい。これからは、自分が編み出した「手」は、自分で温存し、更に育てていくとしよう。げっへっへ。

 ライブはとても楽しかった。外は猛吹雪で、かなり冬に逆戻りしたが、それもじょんがらにはふさわしい。 
 K珈琲が殆どKさんのファンで埋まった。が、中に、二胡のリピーターの方もいらっしゃった。有り難いことだ。精進、精進。




 渋めバイプレイヤー好きの話を先月したが、その私にとって、時間があれば必須のドラマが「京都迷宮案内」。ストーリーなどは殆ど毎回記憶にないが、橋爪功、北村総一郎両氏がレギュラーなだけでも、私的には一見も二見も価値ありである。これでゲストに神山繁さんなんか登場したら、もうその日は眠れないかも。その上、今(私的に)旬の小木茂光氏、そして、先シーズンから「ザ・ガードマン」「キイハンター」等Jノワールドラマで渋めワル常連だった西田健氏がレギュラーに!!。もう、なんというか、どうもどうしたらいいかわかんないぞ。うれしすぎるぞ。私は一時間わーわー言いっぱなし。
 脇役役者ばかりこれだけ集めて連ドラ作るんだから、恐るべし、テレビ朝日京都ミステリー担当ご一向。

 ところで、このドラマで、びっくりしたのが、西田健氏の頭部に関することだった。身体的特徴をどうのこうの言うのが実に気が引けるのだが、去年くらいまで、フサフサの人だと思っていた西田氏が、実はそうでなかった、という事実に直面して、「でも、全然かっこいいじゃん!」と思った私ははたとおのれの「タイプの系譜」について考えを廻らせたのだった.............
 つまり、私は広い額に弱い!。ていうか、少々広すぎでもいいのかも!。「かなり無くても気にならない」んじゃなく、もっと積極的に「無さめのほうがいい」のかも!!
 役者じゃなくても、エリツィンよりゴルバチョフだなあ、とか。山田五郎氏、いいじゃないですか、とかね。そんなレベルで論じたら叱られそうだけど。もしかして、毛深いのが苦手なのかもしれない。本能的に。
 どうして「ヨン様」に興味が湧かないのかもわかった。彼がフサフサだからだ。たぶん。
 そんな私としては、「TRICK」の阿部寛氏が、つぎにこの「タイプ」の圏内に入るのではないか、と、この先長く楽しめそうな嬉しい予感でいっぱいなのである。

 しかし「茶日記」はどんどん、無駄話日記になりつつあるねえ。




8d6e8a2b.GIF いつも、余裕をもって始めてるはずなのに、いつもあっちゅうまにギリギリになってる。この体質をどうにかしたいなあ......
 はっと気づいたら、ライブが明後日、なんて。にわかに緊張倍増。
 しかし、机の上にはtodoメモの山なのであった。こんな暮らし、いつまで続くんだろう......二胡のトレーニングやらリハやらライブだけやって暮らせたらいいのに.......といつもあり得ないことを考えてしまうのだった。
 ちょっと持琴体勢を変えてみたら、音色、音程、ノイズなどなどちょっと改善....と思う。

c8bb6ced.jpg 早川監督が7/25のDVDをくれました。
 プロモ用なので、非売品ですが。

 今、爆忙なので、早朝活動前の二時間くらいしか練習できない。危機感ゆえに、かなり集中してやってんだけど、練習してもしても入らないフレーズがある。こういう時間って、ムダになってんのかしらねえ。............


 K珈琲ライブのチラシでは、マダムに沢山お手数をかけさせてしまった。出来上がったチラシは、和風レトロと妖しい中国風が混じったステキなもの。千代紙が効果的に使用されている。
 それがあんまりステキだったので近所の文具店で見かけた千代紙セットをつい衝動買い。ところが、私にはマダムのような才能がないので、ただ「きれいだー」と眺めてるだけ。なにか作ればいいのかなあ、と思って、はさみを取り出してみたが、なにも湧かない。でも、なんか創りたくて、とりあえず幼稚な花の形を切り抜いてみた。花はともかく、切れっ端はついに捨てた。
 そこではたと気づいた。

 「創るってのは、ゴミがでることなんだねえ」
 そんな当たり前のことを言うと、マダム姉妹はにやにや。姉は絵描き、妹は写真師の姉妹である。そんなことは、言わずもがなの事実である。マダムも、今回のチラシ作りでは、かなりな数の下書きを創り、何枚もの千代紙を切り刻んでゴミにした、と語っていた。
 しかし、私も子供の頃は、下手なりにちょこちょこ創るのが好きだったはずだ。そして、気づいていなかったが、その都度ゴミを出していたはずだ。
 そういうモノでなくても、料理創ればゴミが出る。畑創ったってゴミが出る。服創っても、雑貨創っても、大工仕事しても、映画創っても。二胡作りの現場なんか木っ端のゴミだらけだろう。
 ゴミのない創造の現場なんてあり得ない。

 考えてみれば、実は自分もゴミは出している。もう、モノを創らないから、目に見えるゴミは出ないが、一つ文章を書く度に、何万語ゴミにしているだろう。二胡で一曲モノにするための練習で、何千音、何万音ゴミにしてるだろう。
 だけど、ゴミ出さないと、良いものってできないのかも。一発で名文書けるのが果たして天才? ギターのTくんは毎日14時間ギター弾きっぱなしで曲を創ってるという。でも、人前に披露するライブレパートリーはそんなに多くない。今までに何百曲捨てたんだろう?彼は?
 良いもの創るひとほど、ゴミいっぱい出してる。あたしなんか、最近ゴミが少なすぎて恥ずかしいくらいだ。
 効率よく創るのが良いことだ、なんてのは、まゆつばである。


 だけど、今時はちょっと違うゴミがある。
 今日、とある食玩を衝動買いしてしまい、自宅で箱を開けながら、その過剰包装にうんざりしてしまった。入っていたミニチュアを見てふと、こういうものを粘土で自作している知人を思い出す。その創る過程でやっぱりゴミが出てる。創るから出るゴミ。でも今日自分は、自分でなにも創ってなくて、人の創ったものを消費するだけなのに、箱やら小袋やらゴミを沢山出してしまった。カップ麺の小袋、小分けドレッシングなんかにも、同じことを思う。理由はないけど、なぜかそういうゴミがイヤなんである。創ってないのに、創ってるかのように幻想させる現代のゴミ............。
 沢山ゴミ出したのに、欲しいミニチュアは入ってなかった.........。この時点で捨てるひとがいれば、ここにも、ムダなゴミが出るんだろうなあ。私は貧乏性なので捨てませんのですが。

 こんど「創造的ゴミ供養」でもやるかな。







 この名前は、一昨年初めてやったソロライブのタイトル。今にして思えば「悲歌」とか「閑居吟」とか、ずいぶん思い切った選曲だったなあ。怖いモノ知らずだったんですねえ。
 ソロといいながら、随分沢山のゲストの力を借りて、どうにかこうにか約1時間半乗り切ったっけ。鍵盤師M女史はいわずもがな、打弦師Kさんや、現在のグロバの前身の方々にも来て頂きましたっけ。ギターのTくんも一曲だけ参加してくれたっけ。
 この二年、二胡の方面他でもいろいろバタバタあって、このライブのことをすっかり忘れていたのだけど、一昨日二胡屋のお客様に「あの時、見に行ったんですよー」と言われてドキドキ。自分の怖いモノ知らずぶりを思い出して、ハラハラものだった。この二年、札幌の二胡環境もかなり変わった。私はあんまり進歩ないけども。ううう。
 しかし、またあんな豪華お祭りライブをやりたいなあ。おのれは下手なのだが、好きな曲ばかり、好きな人たちと演奏して、ほんとに楽しかった。 苦しみ多き人生、これくらい楽しみがないとね。




 当たり前のように「なんてあたしは下手な二胡弾き!」と再認識。 しかし、それにもめげず、ライブやるぞー。春だしね。新しい共演者を一本釣り逆ナンパしたい願望がむらむらと..........自分を鍛えなくちゃ。もっともっと。上手になりたいということももちろん大事だけど、やっぱり私は唯一無二になりたいのです。それは「日本一上手い」などのランク付け的な意味でなく、「上手くはないが、こいつの二胡でしか聴けない何かがある」そんな二胡使いになりたいわけです。同じジャンルの人が沢山いるのは嬉しい。でも、私と似たようなもの、明らかに真似たモノ、同じモノがある状態がどうも苦手なのです。もちろん、完全なオリジナリティなんてあり得ない、しかし、だからこそ。
 ある意味、難儀な性格です。常に新しいことをやって逃げ回りたい(大笑)。
 ルーツは日本人じゃないかもね。

 そんなことを吐いてる私、先日、あるライブ会場で、人間違いしちゃった!! いやあ、大変な痛恨であります。たしかに会場は暗かったさ。そして、席は端と端だったさ。 しかし、にこにこと会釈してくれたその人を、いかに似ている風貌とは言え、「自分が唯一無二でなけりゃ」と言ってる自分から、人間違いしてちゃ、世話ないわなあ。
 実は、私がてっきりその人と思い込んだ知人も「実は自分にちょっと似た奴がいる、そいつかも」と言っておられました。加えて、やっぱり似た人がいるのはあまり嬉しくないご様子......ああ、やはりだ。
 昨日、そのご当人にちゃんとお詫びしました。まったく、失礼しました。しかし、私に会釈した人は誰だったのか、いまもって不明です。




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