恋上二胡/二胡と遊ぼう

札幌の二胡な人 荒木田 真穂の 二胡もあるブログです。    

本職ことだまつかい(書き屋)な
二胡の人(Player & Instructor)
無宗教。支持政党無し。
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 名古屋でいろいろ地元ならではの(??)不思議経験をした。これについては、後日.....いや、決して話さないかもしれないけれど、とにかく、人間ということや日本人と言うことや、モラルと言うことや、社会と言うことに対していろいろ考えさせられた。
 これとは別に、太閤秀吉、いまだにヒーローなんである。彼の地では。

 帰ってきたら、中国では抗日(でいいのか、いまさら)デモ激化、というニュース。だいたいのメディアが「国内の不満を逸らすための政治的意図があるのでは?」と言っている。そして、そのアイディアをさもさも現代的のように、得意げに解説してる。

 でも、違うぞ。そんなの、ずっとそうなんだ。中国だけじゃない。日本だってそうだった。ヨーロッパだってそうだった。
 例えば、太閤秀吉だ。出世したのはいいとして、諸大名を制して、あまりに自分と自分の一族に権力と富を集中させようとした。結果、諸大名に不満が鬱積。それを、アジア各国へ出兵することで問題をすり替えようとした。で、結果さんざんな負けを味わい、独裁者の寿命が尽きて、秀吉帝国は終わった。
 そして、日本は海外への扉を閉ざした。
 
 そんな太閤のお膝元で万国博覧会をやってる今こそ、日本は自分たちの歴史が積み上げた負の遺産を、世界各国に、未来のための歴史テキストとして公開すべきなんじゃないのかな。

 日本は、鎖国から現代までを考えても、海外との関係でいろいろ失敗してる。また、役立ち、上手く行ったことも確かにある。
 後先考えずにナチスに与して惨敗した国だ。世界で唯一の被爆国だ。そして、戦後から80年代にかけて世界のどの国より経済的に躍進した国だ。
 この歴史。失敗も、いいこともあった歴史を、ぜんぶ己の姿として認識して、失敗は失敗として認めて、他の国に「同じような間違いをしないで行こうよ」と呼びかけられる、希有の国に生きてること、日本人はもっと大事にしようよ。
 でないと、世界はほんとにやばいぜ。

 なんで? 間違いを認める時には極端にマゾヒスティックになり、逆に、栄光を語るときには失敗を隠したがる。なんで? なんで? もう、うんざりなんだよ。 そんなに世界を終わりにしたいかよ、と思う。
 中国の抗日が悪い、とか、韓国の反日は違う、とか、そんな問題じゃない。そんな運動がどっから来たのか、もっと歴史に学べない?? そして、負の遺産を智恵の光に変えて、あしたのこと、もっと先のこと考えられないかなあ? 








前の茶日記で、愛されたら返そう、ということを書いたことには、別に直接のきっかけがあるわけではなかった。なーんとなく、最近行きつけのいろんなカフェで構築されつつある人間関係に対して愛を感じていたのでそう書いただけだ。

そんな軽い気持ちで書いたら、文章に逆襲された.....というか、私の愛アンテナはまだまだだなあと感じるようなできごとが。
「愛・地球博」に、Z師たちの演奏を聴きに行った。本番は三日間、で前日にリハがあった。リハは一応公開というふれこみだったので、同行の仲間とぶらぶら観に行った。前日が雨で、屋外ステージの最終工事が終わっていなかったことや、開幕式の段取りが完璧でなかったのか、リハ全体がなんとなくもたついていた。こと現場に関するかぎり(自分主催でなくても)スタッフが愚図だとすぐ切れる私は、意外な寒さもあって、ずっとイライラしながら、手出しもできず見守っていた。中国チームの舞台監督である朱師もいつになくイライラしていて、声を荒げている場面もあった。当たり前である。演奏だけならまだしも、雑戯やダンスのある場合、舞台や段取りがしっかりできていなければ、けが人が出る。
そんなこんなでやっと演奏やダンスのリハが始まったのは午後だいぶ回ってからだった。演奏、歌、ダンスと次々に演目が登場する彼らのステージには二つのパターンがあって各45分。小返しが殆どないのはさすが中国の一線プロ。
第一パターンが終わって、小休止に入った時、とつぜん、舞台の方から「真穗!真穗!」と手を振りながら走ってくる人影あり。
「あれー、奚文姉さんだ!!!!」
 去年も朱師と来日して華麗なる揚琴プレイを聴かせてくれた奚文女史である。あっというまに駆け寄ってきて、「きゃー、来てたの??」とチカラいっぱい私を抱きしめた。
 なんて目がいいんだろう。工事中だから最後列の方でこそっと観ていた私に、舞台の上から気がついたという。とても嬉しかった。
 奚文姉さんと知り合ったのは、最初に南京に行った時だ。朱師出演のテレビ番組収録を観に行ったとき、伴奏で来ていた彼女に紹介された。何度か日中交流行事で来日したことがあるという姉さんは、ときどき片言の日本語混じりで、初対面の私に最初から明るく話しかけてくれた。筆談が8割の私にイヤな顔ひとつせず・・・。彼女の明るさのせいで、私はブロークンな中国語でも少しずつ勇気を出して口に出すことができるようになっていったのだった。間違った発音をしても、聞き取れなくて返答に詰まっても、彼女となら恥ずかしくなかった。不思議だった。
 それから、南京にいくたびに奚文姉さんに会った。初会の時は、他愛もない話ばかりだったけれど、何度か会って散歩したり、買い物に行ったりするうち、もっと深い話をするようになった。姉さんと呼んでいるけど、彼女は私より二歳年下なのである。しかし、私が童顔で、道産子丸出しの素朴さなので、「私の方が年上だと思ってたよー」と彼女はいつも笑うのだった。それも、愉快だった。家族のこと、仕事のこと、現代の中国のこと、学校時代のこと、そんなことをお互い話すうち、育った環境や、才能は全然違うのに、同世代の女性として、近い悩みや考えを持っていることがわかってきた。
 姉さんは、非常な美人である。昨年コンサートに来た人は、男女の別なく、彼女が現れた一瞬、息を飲んだと思う。そして、しかし、沢山コトバをかわすうち、彼女が大変な努力家であることや、たいへん賢いことや、細やかな感情に敏感な人であることも、よくわかってきた。彼女の揚琴の演奏風格はしなやかで力強いが、その奥には、深くて広い温かさ、生真面目さ、忍耐強さが隠されている。私は、そういう人は大好きだ。だから、すぐ彼女を大好きになった。
 そんなわけで、私は彼女を友達と呼びたかったが、それ以前に、尊敬する天才演奏家であることも確かだったから、その気持ちにストップがかかった。前にキングから出ていた「中国の二胡」で、朱師と一緒に写真に収まっていた彼女がバスで隣の席に座り、一緒に甘栗をぼりぼり食べたり、きゃあきゃあ笑いあっていることの方が不思議だった。「ありえねー」とはまさにこのことである。
 そんな彼女が、遠くから私に気づいて、駆け寄ってきてくれた。抱きしめられた腕の中で、私はなんだか涙が出そうになった。そして、ああまたやっちゃった、と思った。いろいろ話してきて、彼女の愛を感じる場面がいろいろあった。でも、私はまた「私にはその資格がないから......」と、わざとその愛から身を引いていたのだった。こんどはそんな間違いはやるまい、と思った。
 今回、彼女のホテルの部屋に何度も遊びにいった。私が電話した日もあり、彼女から呼び出された日もあった。二人だけで話した時もあり、「江南茉莉」の他の奏者の女の子と4人で、ポッキーやらピーナツやら干し肉やら南京のお菓子やらをばりばり食べながら大騒ぎした日もあった。
 帰国前日、彼女と二人だけで、またいろいろ他愛もない話をした。彼女も私も、去年のコンサート以降の一年間で、いろんなことを感じたり、考えたりしていたのだった。普段近くにいないからこそ話せるような話もちょっとあった。そして、私は、だいぶ以前から、彼女が私を応援していてくれていることをはっきり知ったのだった。まったく二胡と関係ないことで辛いことが多かった一年だったから、彼女の思いやりは本当に心にしみた。そして、自分でも不器用だなあと思いながらも、生真面目に歩いてきて、彼女のような知人......いや、友達を得たことを、本当に嬉しいと思った。
 なんだか、本当は彼女に出会うために南京に行ったのかもしれないなあ。そして、これは多分もう片思いじゃなく、両思いの友情なのだ。
 あなたと会えて、本当に嬉しい。いっしょに話せて、本当に楽しい。
 まるで恋人に告げるように、私は何度も彼女に言った。へたな中国語で。
 ありがとう。姉さん。人生は、やっぱ楽しまなくちゃね。

 今回の旅は、CDのディーラーとしての目的もあったものの、基本的にはかなりバカげた旅であったと思う。師の来日を口実に、とりあえず目の前の現実から逃げたかったんじゃないの?と言われたら、すぐ否定はできない。
 20年前、やっぱり似たようにバカげた長旅をした。やっぱり、なにかから逃れるための無謀な旅。その時と同じようにあてどない心の逍遙は延々と続いている。(拙著「スクリプターは虹の階梯を」に収録の「So Foolish!」ご参照下さい)何も進歩はありやしない。でも、その時よりも、友達はちょっと増えたかもしれない。いま・ここ、そして、みらい・どこか から手を振ってくれている友達が。


 あっという間である。ここ数ヶ月本当に頭がぼけていた(寒かったから)のもあって、ぜんぜん時間経過が実感できていない。たいへんだー。3月中にやっとこうとか思ったこといっぱいあったのにー。
 カツを入れるという要素もあってか、行ってしまいましたよ。名古屋。流行もの嫌いの私が、万博に通うという暴挙(自分的に)。目的は、朱昌耀師の二胡を聴くため。マンモスもロボットにも目もくれず。。。とはいえ、今回の万博参加ではメインは江蘇茉莉という美女10人の楽団と、12人のダンサー&歌手。師の演奏は2曲だけで、それも直前に出演が決定したんでした。。。。。
 同じ事務所の早川監督が名古屋出身だけど、私はこんなに長い間滞在したのは始めて。それも、たった二曲を一日2回まわし、リハ含めて4日だけのためにはるばる旅してきた自分を、さすがにバカだと思った。
 だがよくしたもので、最初の2日間は札幌から、次の2日間は横浜から、友人がきて一緒に回ったのであった。類友とはまさにこのこと。 
 忙しい日程の中での急遽演奏決定、また初日は強風吹き荒れる野外ステージで共演者の音がほとんど聴き取れてなかったろう中で、やっぱり師の演奏はかわらぬクオリティであったのは間違いない。関係者じゃないから、私は気が楽だったけど。
 とりあえず、大きな企画が終了。私は私で次なる企画を考えよう。すべての準備段階を丁寧に作って、一音一音がしっかり光り輝くようなコンサート目指して。

 もちろん、自分の練習も丁寧にやっていかねばならんなあ。春はリニューアルだね。


 ここで言う「愛情」は「思いやり」に言い換えられるもので、必ずしも「恋愛」だけのことではない。

       ※

 愛し合う、っていうのは一言で言うのは簡単だけど、タイミングがなかなか合わない時がある。なぜなら、他人様から受けた「愛」が身に沁みる時ってのは、大抵受けての自分は余裕がなく、辛く、にっちもさっちもいかない時が多いからだ。だから、有り難いなあ、お返ししたいなあ、と思っても、なかなかすぐに返せるものじゃない。

 そうなると、受けた愛情が負い目になってしまうことがある。これって、つまらない意地やプライドとばかりは決めつけられない。真面目な人ほどそうなるだろうし、自分に厳しい人もそうなる。
 或いは、愛してくれる人に過剰に甘えるあまり、不機嫌な顔を見せ続けることもある。
 どっちも、結果は同じ。せっかく愛情を注いでくれた人に対して、反対に、恐い顔をして「かまわないでくれよ!」と言ったり、自分の悩みを上手く伝えられずスネた態度を取ってしまう。
 ひどいときは、逆に、愛してくれた人に背を向けて離れようとしたりすることもある。

 私もこのような間違いを幾つも犯し続けてこの年まできた。
 自分で言うのもなんだけど、私はけっこう自立したコドモだった。少数の親友以外(変人仲間とも言われているが)、先生も先輩もクラスメートも基本的には信用していなかった。つまり、いやーなコドモだったわけだ。なにが大もとでそうなったかは不明だ。別に、社会的な深い理由があって、不当な扱いやイジメをうけていたわけではない。言えるとしたら、そこそこ良い子だったから、「あいつは大丈夫だ」と常に放置されていたということぐらいか。
 従って、他人様が自分のことを心配したり、思いやったりすることは、基本的にないと思っていた。それが、18で親元を離れて大学に来てから、あるきっかけで、自分の方が間違っていたんじゃないかと思い始めた。

 きっかけはあっても、そうそう考え方のパターンは変わらない。しかし、段々年を取って、非常にシンプルな真理が判ってきた。
 つまり、他者からの愛情が身に沁みるとき、とっさに同じだけのモノを返すことは、不可能である。その時、自分に言えるのはただ一言だけだ。
 「ありがとう。嬉しいです」
 口に出すと、一瞬でもほんとにそういう気持ちになれるところが不思議である。
 いつもというわけじゃないが、最近、私はこういう気持ちを貯金しておこうと思うようになった。返せるのは、もっとずっと後。自分に少し余裕があるとき。それでもきっと遅くない。

 ただ、ごくごくたまーに、瞬時にして愛情を受け取り/返せる時がある。それが、「愛し合う」ことで、男女限らず、人と人の間では、とても珍しく、貴重なことなんじゃないだろうか。
 そして、人間は、往々にして、その一瞬で人生を決めてしまったりする。





 いつまでも冬が終わらない.....。天気のせいか、初春に来てウツウツとなっていた3月。 しかし、ぼーんやり静かな生活もいいかなあと考えはじめた。今までが冒険またチャレンジの繰り返しだったせいかなあ。
 このチャンスに生活変えよう。
 さて、しばらくの間、大きな音で練習できない環境にいたため、おととい久々にバンマスんとこで弾いたら、運弓がヘンになっていた。肩が上がっちゃうんだよなあ。ひどくならないうちになおしておかないと。
 津軽三味線とのセッションを終えて「風格」ということに思いを馳せる今日この頃。
 ちょっと考えただけなんだけど、あの、劉天華の、ある意味妙な曲たちがわりとよく学習に使われる理由がおぼろげながらわかってきた。劉天華の曲を、とりあえずひきこなすのには地方風格、戯劇風格など、ネイティブならではの「風格」を意識する必要が少ないみたい。だから、日本人でもとっつきやすいんじゃないかな。
 でも、実際のとこ、あの結構分裂的な即興曲をマジメに譜面通りに再現しても、本当は面白くない。あの不思議な音楽の全体像を、演奏者自らの問題として受け止めないうちは........。
 つまり、個人風格が出来上がって以降、初めて、劉天華の曲を「演奏した」といえるのだと思う。私も早く「ただ弾けた」段階から卒業したい。
 


 なーんだか、年度末のせいか、雑事が重なる。
 けっこう早起きしてるのに、あっという間に一日が終わる。
 練習できなくてこんな辛かったの、正直二胡歴始まって以来である。
 人間、転落は早い。こんなんじゃ、あっちゅうまに(ただでさえ下手なのに)もっと下手になってしまいそうだ.............辛い。
 楽器を持てない時間(つまり手が別のことしてるとき)は、なるべく聴きまくるようにしてるんだが......
 どうだろう。効果あるかなあ。




 本日はWS日。本日のグループは、ひとつのグループでは繍金なんとかを、二つ目のグループでは草原情歌と荒城の月を研究中。
 聞きかじりを話したがる軽ーい私はさっそく津軽三味線の「手」の話をひとくさり。話していると、だんだん、例の「悔しい気持ち」ってのが消えてきた。そして、なんだか自分の新しい「手」を考えたくてしょうがなくなってきた。
 メンバーみんなが自分の「手」を考るようになっていくだろうな。もし、すごい素敵な「手」に出会ったら、やきもち焼くんだろうなあ。でも、そしたらまた自分の新しい「手」を考えればいい。そのやきもちは、真似されて悔しいってのより、ずっと楽しいやきもちだ。
 おそらく、スクールや教室などで習えるのは、「手」を作り出す前の段階までだろう。そこから先は自分しだい。もちろん、音程やリズムや運弓などの基礎に忠実に、原譜面を再現できるのは大事だ。が、音楽としては、そこではじめてゼロ地点に立っただけ。そこから積み上げて作る世界は自分で責任を取らなきゃいけないからしんどいけど、すごく楽しい。


 ところで、ブームとしての二胡ってそろそろ収束して、おちつくとこに落ち着き始めたんでしょうか。なーんとなく、そういう気がしてならない昨今。
 でもなあ。。。。。たぶんあたしは守りには入らないんでしょうな。
 自分の中のマイナーな気分、ちょっとダークな悩み、つまり模倣されたらむかつくとか、ってことを「そういうことって普通にあることなんだ!」と認識した瞬間、自分のやりたいことは、守り姿勢じゃないってことがわかってきた。たとえばそれは、いつも、いつまでも、風景を作り変えていくこと。。。つまり、旅することかな。執着でなく、いつも新しい恋心を!!







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